学誉冏鑑上人が増上寺の大僧正だった頃、ある時庭先に大蓮寺にいたときに仕えていた忠僕の久助が立っていました。久助は大蓮寺の稲荷の復興を頼みました。上人は早速京都伏見稲荷から正一位の官位を受け、それに建設費を添えて大蓮寺に送りましたが、久助は20年前にすでに亡くなっていました。稲荷様の身代わりとなって現れた久助の志に深く感動した上人は、その名を取って「久助稲荷」と名付けました。現在も、毎年5月18日には大祭が開催されています。